私がFIREを目指すようになった経緯

FIRE

私「てそ」がなぜFIREを目指すのかをお話しします。

FIREとは

FIREとは(Financial Independence, Retire Early)の略語で、直訳すると経済的自立&早期退職のことで、若いうちからリタイア後の生活をイメージして資産運用でお金を増やし経済的な自立を得るという考え方です。

よく言われるトリニティスタディという研究によると、支出x25倍の資産を貯めればFIRE可能ということです。

トリニティ・スタディとは、1998年に米国のトリニティ大学の研究者が発表した、退職後の資産運用と引き出し率に関する研究です。この研究では、株式と債券で構成されたポートフォリオから毎年一定割合の資産を引き出した場合、30年間資産が枯渇せずに持続する確率を分析しました。


その結果、「4%ルール」が提唱されました。これは、毎年の生活費を資産の4%以内に抑えれば、過去の市場データに基づき資産が約30年間持続する確率が高いというものです。ただし、経済状況や個人の支出によって適用には注意が必要で、柔軟な運用が推奨されます。

例えば月25万円の生活費の人であれば、25万円x12ヶ月x25倍=7500万円あれば、理論上は資産を減らすことなく生活ができるというものです(税金計算は省略しています)

2010年代にかけて欧米で注目を集めた考え方で、日本では「三菱サラリーマンの穂高さん」や、「リベラルアーツ大学の両学長」などで有名になり、私も夢中になって情報収集をしました。

今は一時期ほどは話題になっていないですが、この頃にFIREに向けて準備を始め資産を増やしてきている人たちが今まさにFIREをしつつあるのだと思います。

ということで(?)、私がFIREを目指すまでにどんな心の変遷があったのか自身の頭の整理も含めて学生時代から今までの経緯をまとめてみました。

努力できない自分を自覚しつつなんとなく日々を乗り切る学生時代

✅多少興味のある科目は真面目に聞くけどそれ以外はほぼ聞いていない

✅部活でサッカーや陸上をやるが「人に勝ちたい」という欲が薄く、友人と一緒だから的な理由でやっていたので地道な筋トレやランニングなどはサボりまくりで、試合で負けても悔しいと感じない

✅この頃からオジサン嫌いでOBや先輩に対して嫌悪を感じており全く可愛がられず。

✅バイトに明け暮れ、高校時代はバンド活動のためのスタジオ代とバイクに注ぎ込み、大学に入ると海外旅行とスノーボード、デート代などに注ぎ込み貯金はゼロ

勉強、部活、趣味など色々やってきてはいますが、どれも本気でのめり込んで努力することができず、「何事も人よりちょっとだけできる」という程度のポジションになっていました。

今の仕事でも同じで、努力できない、ちょっとだけできる、基本的にやる気はないというスタンス確立はこの頃からできていたと思います。

どこでもいいから受かれば行くという時代の就活

就活では業界研究などもやろうとしましたが、資料には見慣れない言葉が多いのと、正直どんな情報を見ても「自分がスーツを着て会社というところに行って具体的に何をやるのか?」が全くイメージできなかったので、気が進みませんでした。

就職氷河期だったので、あまり拘らずとりあえず色々受けてみようと思って2、3社受けてみたら内定をもらえたので、就活をさっさと終えました。(今の会社)

業界・会社に特に強い思い入れがあったわけではないし、もっと良い会社に受かったかもと考えもしましたが、圧迫面接で嫌な思いをすることも多く、慣れないスーツ着て、苦手なおじさんたちと接することが苦痛だったのですぐに決めました。

大学時代の成績は本当にひどいものでしたが、盛りエピソードと面接対策だけで乗り切った感じです。

自分はまだラッキーでしたが、同級生の中には就職できなかったり超絶ブラック企業やバイトしか内定が出なかった人も多く、自分も含めて未来が明るいとは全く思えませんでした。

その後はバイトでお金を貯めて、卒業旅行でヨーロッパ周遊のバックパック旅行に行ってきました。

ただただ耐える会社員時代(20,30代)

会社に入ってみたら、想像よりひどい環境でした。

✅意味のない作業をさもあるかのように説明する先輩や上司に共感できず全く楽しくない

✅指導という名のパワハラ、本人の気分で始まる説教

✅有休は入社3年目までは取れない

✅忌引明けでも不在だったことに嫌味を言われる

✅年末年始の出勤は新人の役割(代わりの休みもなし)

✅新入社員は夏暑くても上着を脱げない、自席でお茶も禁止などの謎ルール

✅強制的な飲み会参加。先輩が良いというまでご飯に手をつけられない、先輩が帰るまで帰れない

✅カラオケで流行りの曲をうまく歌ったら嫌われるので古い曲を下手に歌う必要あり

などなど益々オジサン嫌いが加速して行きましたが、不況で転職など不可能な時代でしたので、同期と愚痴りながらなんとか乗り越えようとしていました。

ただ社内を見てみると、当時30代前半の課長さんたちは大した仕事もなく、出張時にグリーン車やビジネスクラスに乗り、経費でタクシーチケットも持っていたので「10年耐えたらああなれる」と信じて我慢をしていました。

しかし数年上の大量のバブル世代がおり、その対象が増えすぎたため、

✅バブル世代の昇格・昇給タイミングの後にことごとく人事給与制度が改悪

✅出張時にグリーン車/ビジネスクラスに乗れた規定もどんどん改悪(未だに乗れない)

✅賞与係数は入社1年目の冬がマックスで未だにそれを超えていない

✅バブル世代が30代前半で到達したポジションに、50歳前で一部の人しか到達できない仕組みに

など30歳中盤くらいになっても、あまり未来が見えない感じが続いていました。

ただそれでも世の中の平均収入よりは多いということと、結婚したので頑張るしかないということを心の頼りになんとか我慢してきました。

こんな環境だったのでストレスも溜まっていき、必要もないのに車を3年おきに買い替えてみたり、一流会社員ぽい振る舞いがしたくて、高級時計やオーダースーツ、居酒屋では飲まないなどストレス発散のための浪費が続き、お金が貯められないという状態でした。

またネット証券が拡大したので、一流投資家気取りで中国株やFXをやったりしていましたが、強制ロスカットで▲150万円くらいの退場経験で、あまりのショックでしばらく投資からは離れることになりました。

無意識に社畜になりつつあった40代以降

長く会社にいることで、なんとなく嫌なことを最小限にする術も身につけつつ、惰性で仕事を続けてきましたが、この頃から絶妙にちょっとした権限を付与されつつ「希少な上位ポジションに行けるかも」的な事を上長から言われ、「それも悪くない」とその気になってしまい数年間仕事に没頭していました。

今思うと大事な数年間をほぼ会社に捧げてしまったことは後悔をしています。これは働かせるための常套句で同じことを皆に言っていたのでしょう。

ただちょうどこの頃コロナ禍で会社の業績がズタズタになり、2年くらいまともに仕事がない時期が続きました。

強制的なクビ切りはなく社員の給与は大幅減(ボーナスも当然ゼロ)か、退職金上増しの早期退職の2択が提示され、多くの同僚達が辞めていきました。

この時に転職も考え、資産の棚卸をしてみたのですが、買ったまま放置していた資産が大きく増えていましたが、まだ会社辞めるというのは考えることもできませんでした。

景気が落ち込んでたので転職も難しいし、「会社も以前ほどブラックではないしいずれ業績が戻った時にこの環境を捨てるのは惜しい」と感じていました。

コロナ禍からその後

コロナ禍で暇な時に、FIRE関連のブログや動画を見るようになりました。

中でも、三菱サラリーマンの穂高さんや、YouTubeの両学長などの情報をよく見るするようになり、こんな生き方があるんだと知りました。

ただ穂高さんは、元々地頭のよいエリートで強い意志を持って行動されていて、退職後も本を執筆されたりと精力的に活動しており、憧れを持って読んでいましたが、「努力が続かず」「何事もまぁまぁレのレベル」の私には絶対に無理だと思っていました。

この頃からFIREや4%ルールのブログや動画投稿が増え、「会社員だけどFIRE目指してます!」的な一般の人の投稿もSNSで増えてきました。

その中で「資産3000万円でサイドFIRE」など「頑張ったら自分もいけんじゃね?」と思えるような人が徐々に出てきました。

この頃に改めて資産の棚卸をしてみたところ、それまで銀行口座と証券口座だけしかみておらず、会社の確定拠出年金や企業年金積立などを計算に入れていないことに気づき、それも足してみると現実的な目標であることに気づきました。

極論、両親が住んでいる田舎(部屋余りまくり)に夫婦で引っ越せば、住居費ゼロになるので「その気になればFIREできる」という確信が持てました。

仕事は徐々に業績が戻りつつある中で、「若手登用」が本格化し始め、30代世代が2段階飛び越えの昇格・抜擢がされ、華やかな仕事は全てそちらに行くようになり、仕事へのモチベーションも急激に下がっていきました。

自身としても割り切るには良い機会となり、試算した結果、「7000万円でのFIRE」が目指すべき目標となりました。

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